現代では、「信じる」ことよりも「見抜く」ことが称賛される。
誰かを信じることは危うく、
見抜くことは賢さとして評価される。
だが、信じることが失われた社会では、
人は孤立を恐れる。
そして孤立を避けるために、
共通の敵を見つけて団結する。
こうして生まれたのが、
“見抜きの正義社会”における対立ブームである。
1️⃣ 信じられなくなった社会
過剰な情報と分析の時代、
「誰を信じればいいのか」がわからなくなっている。
政治家も、企業も、メディアも、
誰かの利益のために動いているように見える。
だから人々は、信じるよりも、見抜こうとする。
そのほうが安全だからだ。
だが、見抜けば見抜くほど、
すべてが“思惑”に見え、
最終的には何も信じられなくなる。
理解が進むほど、孤立は深まっていく。
2️⃣ 共通の敵がもたらす安心
孤立した人間は、
「誰かと同じ怒り」を共有することでつながる。
「悪いのはあいつだ」
「この構造が腐っている」
そう言えるとき、人は孤独を忘れられる。
敵を見つけることが、
最も手軽な信頼の代替行為になる。
信じる対象を失った社会では、
敵こそが人々をつなぐ“新しい接着剤”なのだ。
3️⃣ 見抜く正義が作る擬似共同体
見抜くことは、本来、思考の武器だった。
だが、見抜く正義社会ではそれが共同体の条件になっている。
「誰を敵と見抜くか」で仲間が決まり、
「どこまで本質を見抜いているか」で序列が生まれる。
こうして、
“構造を理解する人たち”と“理解される人たち”が分かれ、
社会は冷静な言葉で再び戦場になる。
4️⃣ 対立ブームの正体
現代の対立は、もはや偶発的ではない。
それは孤立を和らげる装置として機能している。
- 誰かを叩けば、共感が集まる
- 共感が集まれば、不安が薄まる
- そしてその安心が、次の敵を呼ぶ
見抜きの正義社会では、
「敵を見抜く」ことが日常になり、
対立そのものが安心の構造として定着していく。
5️⃣ 結語 ― 理解が敵を、敵が連帯を生む
見抜くことは防御であり、
防御はやがて攻撃になる。
理解が進むほど、敵は増える。
敵が増えるほど、仲間が見つかる。
そしてその仲間意識が、
新しい対立の火を灯す。
見抜きの正義社会とは、
不安を敵に変換し、敵を通じて団結する社会である。
人々は、信じるかわりに見抜き、
つながるかわりに戦い、
安心するかわりに正義を演じている。
その構造こそが、
“対立ブーム”を終わらせない理由だ。